2018年1月9日放送の「マツコの知らない世界SP【YOSHIKI初共演!華麗で異常な世界次々公開!】」で、世界的ロックバンド「X JAPAN」のリーダーである「YOSHIKI」さんが番組に初めて出演されました。
「X JAPAN」は1989年にメジャーデビューして以降、若者を中心に瞬く間に絶大な支持を得て「X現象」と呼ばれる社会現象までも巻き起こした、ビジュアル系バンドの先駆者です。
ロックとクラシックの世界三大聖地と呼ばれる「マディソン・スクエア・ガーデン」「カーネギーホール」「ウェンブリー・アリーナ」で講演を成功させた日本で唯一のアーティストでもあります。
直接的な番組での共演は初めてのお二人でしたが、YOSHIKIさんの物腰の柔らかい言葉選びとそれでいて凛とした佇まいに、番組のご意見番であるマツコさんも「非の打ちようがないわね!」と話していました。
「マツコの知らないYOSHIKIの世界」と題しまして、YOSHIKIさんの熱狂的な支持者である「さかい」さんのプレゼンのもと、ご本人のYOSHIKIさんを交えて「御自身や『X JAPAN』での出来事」についての裏話や「ToshIの洗脳と脱退」「親友HIDEの死」の真相について話してくださいました。
そこで今回は「マツコの知らないYOSHIKIの世界」でYOSHIKIさんが語った衝撃的な裏話と真相についてまとめてみました。
知れば知るほど魅力的で引き込まれる「YOSHIKIの世界」。
それではご覧ください。
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■「YOSHIKI」プロフィール
名前:YOSHIKI (本名:林 佳樹)
出身地:千葉県館山市
誕生日:11月20日
【生い立ち&エピソード】
0歳:老舗呉服店の長男として誕生
4歳:ピアノを習い始める
5歳:幼稚園で利三(のちのToshI)と出会う
小5:ロックバンド「KISS」を見てロックスターになると決意 ドラムを始める
小6:利三とバンドを結成
中学:教師にバリカンで丸坊主にされグレる 不良だったが学力は400人中10位以内
高校:「X」を結成 音大受験を辞め「X」で生きていくと決意
■裏話&真相「まとめ」
●ヴォーカリスト「ToshI」誕生秘話
もともとToshIさんはヴォーカルではなくギタリストだったそうです。
当初はYOSHIKIさんがヴォーカルを務めていましたが、自分で歌っていてもなんだかしっくり来なかったよう。
試しにToshIさんに歌わせてみたら思いのほか良かったので彼をヴォーカルに抜擢。
結果的にToshIさんはもの凄いヴォーカリストでした。
●ロックに興味を持った「キッカケ」
YOSHIKIさんが小学校5年生の時に突然父親が他界。
自殺によるものでした。
YOSHIKIさんはふいに心の行き場をなくしてしまったと言います。
それまでは真面目でクラシックだけを聞いている青年でしたが、急に怒りの感情が込み上げてくるように。
そんな時に出会ったのがロックバンド「KISS」のアルバムでした。
初めは「何この人たち!?」みたいに思っていましたが、いざ聴き始めるとどんどんのめり込んでいき、遂には自らもロックスターになることを決意します。
その後、母親がドラムを買ってくれたことをキッカケにドラムを始めたそうです。
●「X」の誕生について
高校2年生の夏に「X」を結成。
現在のメンバーは「YOSHIKI」と「ToshI」だけで、もともと他のメンバーは皆当時の同級生たちだったそうです。
●「YOSHIKI」のこだわりについて
YOSHIKIさんがデビュー当時から最も重要だと思っていたこと、それは「音楽を伝えるためには手段を選ばない」ということだったそうです。
そしてその思いから生まれたのが「1分間に800回以上叩く【高速ドラム】」と「ドラムを蹴る、殴る、破壊するという【衝撃的なパフォーマンス】」だったんです。
●「高速ドラム」に関する裏話
当時は「何か目立つことを」と考え「ドラムを一番速く叩くこと」を目標にひたすら練習を続けたと言います。
ただ練習をしている途中から「これもう音楽と関係ないんじゃないか!?」と実は思っていたそうです。
あとで気付いたのは、リハーサルの時に凄く速く叩くと他のメンバーがついてこれなくなるのがいつしか快感になり、ひそかに「勝った!」と思っては喜んでいたそうです。
●「衝撃的なパフォーマンス」に関する裏話
今までに破壊したドラムはおそらく100個以上。
しかし、そのすべてがYOSHIKIさんの破壊的衝動で壊されたものではなかったようです。
YOSHIKIさん曰く、ドラムメーカーから「ウチのドラムを壊してくれ!」といってドラムを頻繁に頂くそうです。
実はYOSHIKIさんがドラムを壊せば壊すほど、そのドラムは売れるのだそう。
あまりの頻度に「また今日も壊さなきゃいけないですか...?」と思うこともあったと言います。
YOSHIKIさんだからこそ生まれた悩みと言えますね。
●「ToshI」の洗脳と脱退について
バンドメンバーという以前に幼馴染の友達であり家族であったため、父親を失った時と同じくらいの衝撃を受けたそうです。
この時YOSHIKIさんは「一生会わないんだな」と思い、覚悟を決めたと言います。
自身の心の中にある「X」というドアを完全に閉め「このドアは一生開けない、開けたくない、「X」はないんだ!!」と自分に言い聞かせるよう心の奥底に封印してしまったそうです。
ファンの間では伝説として知られる、解散ライブの曲中に歩み寄るYOSHIKIさんとToshIさんが抱きしめ合う場面がありますが、YOSHIKIさんはこの時怒りの感情が強く、本当はToshIさんのことをぶん殴ってやろうかと思っていたそうです。
しかし目の前にいたのは幼いころからの友達であり今までともに苦難を歩んできた仲間であるToshIさんそのものであったため、自然と抱きしめてしまったと言います。
ToshIさんへの想いと、YOSHIKIさん自身の優しさから、あの伝説は生まれたのですね。
●「X JAPAN 再結成」について
YOSHIKIさんがToshIさんから後に聞いた話では、ToshIさんを洗脳していたリーダーの人が「X JAPANを再結成しなさい。そして僕にもっと貢ぎなさい。」という話が出たことで、解散から10年後にYOSHIKIさんへ連絡があったそうです。
幼いころから知っているYOSHIKIさんにとって「少し普通ではないな」とは感じたそうですが、ライブや演奏を通じてひょっとしたら感覚が戻ってくるのではないかと思い、ToshIさんを信じて再結成に至ったと言います。
●親友「HIDE」の死について
HIDEが亡くなったという連絡を受け、当時ロサンゼルスにいたYOSHIKIさんは急いで日本へ帰国。
多くのファンが酷く混乱し「後追い自殺」をする人達まで現れ収拾がつかない中、YOSHIKIさんは無情にもファンの人達を励ます立場としてマスコミの前に出ることになります。
その時はまだ「HIDEが死んだ」ということを自分自身でもよくわかっていなかったと言います。
1ヶ月程経ってからロサンゼルスに戻り、一人になった瞬間、YOSHIKIさんは自分という人間が完全に壊れてしまったと当時を振り返ります。
どうしていいかわからない、家から出れないような生活になってしまったそうです。
このままではいけないと思い、最後に1曲だけ「X JAPAN」のためだけに曲を書いてみようと思い立ち、作曲したのが「Without You」だったそうです。
●「HIDE」の存在について
YOSHIKIさんはHIDEが亡くなった今も「自分の中ではまだ一緒にやってる」気持ちでいると明かします。
「もちろんこの世には存在してないけど、気持ちは一緒にやってる。」
「実際の演奏はなかったとしても『HIDE』の気持ちは入ってますし『TAIJI』というメンバーもいろいろありましたが、今『気持ちの中では【7人のX】』というつもりでやっています。」
と、最後に仲間への熱い思いを語ってくれました。
■まとめ
いかがでしたか?
YOSHIKIさんの仲間への想い、優しさ、そして一人の音楽家としてとてつもなく魅力的な人物であることが伝わったかと思います。
少年時代に訪れた父親の突然の他界。
一世を風靡し社会現象を巻き起こした人気から突然の解散。
解散後に追い打ちをかけるように突き付けられた親友の死。
これらの苦難の経験があったからこそ、今の「X JAPAN」があり人々を魅了してやまない音楽を発信し続けられるのかなと感じました。
これからも「X JAPAN」の更なる活躍に期待しつつ、応援していきたいと思います。
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